Sunday, July 29, 2018

心の優しいムスリムと時として不寛容な自分に混乱する頭の中





イスラム国家マレーシア。

中東に勉強と題して帰ってくる頃にはテロに染まってくる者、
人から間違ったイスラムを洗脳される者、

物事というものは、なんにつけ乱用される物で、ネガティブな要素は何処の国でもある。

ましてや過激派組織によるテロが世界各地で起き、イスラムイメージを「テロばかりしている暴力的な宗教」「理解不可能」「厳しい宗教」といったイメージで捉えられてしまうのは仕方がないことかもしれない


でも一方で、多くの人がイスラムに改宗している。
あの有名人が、あのミュージシャンが、とよく聞くではないか。
2050年には世界の3人に1人がムスリムになると予測されている。

そんな「負」ばかりの宗教なら、これほど信者が増え続けるわけがないだろう。



基本的にイスラムそのものの教えは「平和」で、穏やかだ。
道徳や規律が乏しかった大昔、それら教えを人間のモラルとして、そのルールに沿った生活をしていくというのは、もっとも自然だ。

そして、とりわけ人間愛的に言うと、「女性を大切にし、貧しい人、お年寄りなど弱者にとてもやさしい」宗教なので、とくに家族を大切にし、親には最も優しく、その土地に不慣れな旅人にも優しく、恵まれない人にも進んで助けたり、寄付をしたりする。
暖かく、緩やかだ。

もちろん、旅人に親切な人なら世界中のどこにでもいるだろう。
しかしイスラム圏は、親切な人の割合も、親切の度合いも、他とはくらべものにならない、見返りのない優しさが伝わってくる
自分たちが持っているものを分けるだけなのに、自然体だ。


イスラム国でも実際暮らしてみるともちろん
これだからマレー人はさあ、、、」と愚痴の10は出る。

食事だったまとめて沢山作って、おおらかで、のほほんと構えているのを見ると、「こんないっぱい作ってさあ、残って捨てるようになっらたもったいないじゃん、なんでもっと計算して作んないのー?」とか、

クリニックでは先生はちゃんと患者を見てるんだか見て無いんだか、受付の3人の子たちたおしゃべりに夢中で、薬を待っているのに動こうとしない

ゴミ焼却炉の鉄ドア注文を引き取りに行ったらまだできていないし、土曜日と言われて行ったらしまってるし、月曜日に行ったらまだ出来てないし、「土曜日閉めるなら何故電話一本よこさない?」と文句言ったところで何も出てこない。
エトセトラ、エトセトラ。。。

真剣に打ち込んでない、仕事にしろ何にしろ、無駄な時間をヘラヘラしているのが気に触ったり、ダラダラにイライラしたり。

虫の居所が悪い時なんかたまにそんな悪態をわざとつきたがる一方の自分もいたりして、能天気で悪気がない彼らを見て、自分自身で精神的に混乱をくりかえす
  

そので、こんな優しさに出くわすとさらに頭が混乱する。

先日、小さなお店で買い物をしていた。
結果を言ってしまうと、レジでお金が足らなかった。
カンコンとエビ、テンペ、パンを買ったら数リンギ分、ちょうどパンの金額分が足らなくてパンを買わずに戻そうとした。
そうしたら私の次に並んでいる男性がパンの代金分を支払ってくれたのだ

見も知らぬ人にそんな親切にされて
思いは複雑。。。



イスラムの6行のうちに「ザカート(喜捨)」があり、1年に一回一定額を、「恵まれない人に寄付をする」というものがある。
うちの主人も熱心だ。
国のザカート基金では国民から預かったザカートを主に孤児院などに寄付をしている。イスラム教徒の教えでは義務となっており、困った人を助ける義務が常にある。
一方で、自分が裕福になるには、まずは人に与えるべしという「give & get」、貧しい人に差し出すことによって、社会に還流、ゆくゆくには自分にも倍になって戻ってくる事を信じている。

なにはともあれ、 

幼少時から大家族や近所の密接な関わり合いの中で、ギスギスしない人間関係の中で育つうち、「人といるのが楽しい」というあまり気遣いをしない、ゆるい感覚が形成されていくのかもしれない。



Sunday, July 22, 2018

縄文人や現代日本民族の形成過程が解き明かされつつある?







日本民族形成のイメージ日本人のルーツを探る時にこれまで3つの仮説があったそうだ。

「小さな突然異変を起こした。」
「民族の入れ替わりがあった。」
「複数の人種が混ざった。」


このうち、DNAの解析から最近ではようやく 「複数の人種が混ざった。」ということが明らかにされつつあったという。




これまで、世界の古代人のゲノム解析が進んでいたものの、東南アジアから日本にかけての民族形成過程について調べた論文成果を見かける事はなかったらしい。

もちろん研究レベルの問題、技術的な理由もあったらしいが、高温多湿地帯のためDNAの変性が激しかったからだ



今回古代人ゲノム解析それぞれの関係が明らかになったのは記述をそのまま見ると、
東南アジアの民族が、文化的に優位な民族が他の民族を征服し置き換えるのではなく、混血を繰り返しながら文化を共有していったことが明らかになったことだ。

すなわち、異なる民族間で、ある種の平和的融合を通して混血と定住が進み、各地域の民族が形成されたのが、東南アジアの特徴と言える。

事実それぞれのグループにはインドやパプアニューギニア民族からの遺伝子流入も見られることから、この融合範囲はかなり広い。

縄文人の遺伝子解析はこれまでも行われており、東アジア人とも、東南アジア人とも違った、まだわからないルーツがあるとされていた。

ラオス・マレーシアに移住してきたグループ1の末裔が東南アジアを経て日本に到達するまでに、その途上の民族とおそらく平和的に混血を繰り返して日本に到達したのが縄文人になる。

そしてこの縄文の遺伝子は私たちにも脈々と受け継がれている。伊川津縄文人からその後の3000年のうちに更に東アジア人と混血を繰り返して現代日本人が形成されたことになる。」ということだ。





東南アジアでも、歴史が始まると多くの争いが起こり、征服や支配が行われるようになる

しかし、農業が始まる頃の定住と民族形成が征服ではなく融合が基本だったことは、東南アジアの精神性の重要な基盤となっているのかもしれない。





事実、 その後マレーシアでもマラッカ貿易時代という歴史的に大きな世界貿易の拠点になって何百年も多くの国(中国、インド、アラブ)が混じり合いながら、決して植民は行わずに(西洋人が入ってくるまでは)平和に商いをしていた。

そして多くの混血を残して多民族国家になった、というマレーシアの例で歴史を見ると、アジア系というのは、征服というのを避けて穏やかに生活をする性質がもともとあったんだろうなと想像をかき立てられる。





イメージ的には(表向きには?)単一民族だったと思っている日本人が、結局のところ「実は世界一多様な遺伝子が混じった民族であった」ということは、なんとも愉快な話だ









Wednesday, July 18, 2018

読書感想「モンスター」




「モンスター」 東野圭吾

なんとなくではあるけど、おもしろかった。

500ページ近い大作で、
「整形しても別人の顔になっても、別人格にはなれない」
「男は結局、女の容姿(セックスアピール)に惹かれる」

が描かれる。


絶世の醜さで生まれてきて、呪いのように「美」を求め始める主人公の女性は、これでもか、と整形を繰り返す様はあっぱれで、そこからの描写は、面白いように軽快だ。
まずは二重まぶたの埋没法、次に鼻、インプラントで美しい歯を手に入れ、さらに目を直し、顎の骨を切り取る大手術(そのために和子は、噛む力が極端に弱ってしまう)……。他にも数え切れないほどの施術をしたおかげで、絶世の美女となる。
その美貌に、世の男たちは次々と虜になる。
しかし未帆は、かつて愛したクラスメイトの英介を忘れられない。やっぱり「英介」に愛されたい。38歳になり、そう願った未帆は大金をつぎ込んで、故郷にレストランを開く。店にやってくる男たちの中に、英介がいることを信じて。
既婚していた英介は、案の定絶世の美女へと変貌を遂げた未帆未帆に惹かれ求愛するが、「妻とは別れられない」と言う。不倫男性の定型句だ。10年以上、体を酷使してきた未帆にはもう、時間がなかった。美帆は「結婚してくれないなら、あなたとはもう会わない」と告げる。動揺した英介は怒りを露わにし、言い争いになる。そんな未帆を「くも膜下出血」が襲う。死を悟った未帆は、「私の、本当の名前は和子。和子でも好きでいてくれる?」と明かす。彼女は結局、整形で美人になっても、「別人」にはなれなかったのだ。元のままの「私」を愛して欲しかったのだ。が、英介は口先で「ああ、好きでいるよ」等と答えつつ、結局、和子を見捨てる。「なんだ、元はあのブス女だったのかよ……」という感じだろうか。くも膜下出血の未帆を「ほうって逃げた、最低の男」だったのだ。それでも「和子」は、英介に愛されたいとの願いが一瞬でも叶って、幸せそうに死んでいった。おしまい。


「1人の男に愛されたいがために整形し、風俗で体を酷使して死ぬが、本人は幸せだった女の話」
これは「悲劇」だろうか、それとも「喜劇」だろうか。
この読後感の悪さはなんなんだ!
ちょっと意地悪なエンタメ的ストーリー。


Saturday, July 14, 2018

「ピープルパワー革命、新時代に突入したマレーシア」








マハティール首相が93歳で返り咲きを果たし、歴史的に60年ぶりの政権交代が完了した。


多くの国民がいかにナジブ時代に嫌気を感じ、このままではいけないと一丸になった結果が今回の勝利だった。
この勝利には、SNSは最大の一躍を買っている。

SNSが利用できたからこそ、国民は真実を知ることができ、一致団結ができたのだ。




政治から一度足を洗った彼が、独裁開発指導者としてではなく、愛する自国の将来のために最後の力を振り絞って民衆のために立ち上がった。
歴史的な政変をここで起こす事が出来るのは彼しかいない、とみんながみんな公言していた。しかし建国の父93歳高齢なために、これまで崩れ掛かったマレーシアを早く再建しようとがんばっている。

「マレーシア人のマレーシア」として、民族的に中立の政府と国づくりを目指す。





現在、ナジブ元首相を牢獄に追いやる過程で、その他にも大きなムーブメントがおこりつつある。
それは、「マレー人の特別な地位」と「サルタン制度 」の懸念だ。

マレーシアには、「マレー人の特別な地位を非マレー人が受け入れることと引き換えに、非マレー人の権利をマレー人も尊重する」という建国以来の「社会的な合意」がある。これに則って、例えば国の主要な役職はマレー人が占める慣行だった。

しかし、新政権は民族に関わりなく有能なマレーシア人を登用する意向で、この慣行をなくしていくと見込まれる。今後、警察と軍のトップ、最高裁判所長官、中央銀行総裁などにもこの動きが及ぶ可能性がある。マレー人の地位という聖域が揺るいでいるのだ。

ここ最近マハティール首相は、早速も政府の最高法務官の職にインド系のキリスト教徒を指名している。
そして、マレーシアの国王とサルタンたちだ。

 ルタンは、イスラム教とマレー人の地位の擁護者であると憲法に規定されている。しかしここ最近になってから各州ルタン国王のために莫大な公費が使われており、その贅沢な生活ぶりが金額を挙げて指摘されている。9つの州のスルタンたちと、彼らの間の持ち回りで5年ごとに変わる国王にどのように向き合い対応するかだ。



マハティール首相最近の日本訪問で、日本の皇室の質素で庶民的な生活ぶりを賞賛し、また新たにマハティール氏の新政権は、彼の前回の政権を踏襲して「ルックイースト政策2.0」を掲げている。とりわけ、日本人の高い倫理観と恥を知る文化から学ぶことをマレーシア国民に呼びかけている。



Wednesday, July 11, 2018

読書感想「草祭」





「草祭」  恒川光太郎

相変わらず、不思議な空間情景にトリップさせてくれたショートストーリーは、登場人物が繋がっていて、各ストーリーは好みがあると思う。

なんとなしに、ゲゲゲの鬼太郎の世界と似ている。

世にあるものはみんな多かれ少ないかれあやふやなバランスにあるものだ。
何か一つの要因をずらしたり、入れ替えたりしたらフッと消えてしまう。

自分のいる(と思っている)場所だって、本当は夢の幻想の中かもしれないし、別世界にワープしているのかもしれない。

脳だって当てにならないものだ。

色々忘れっぽくなってくると、「脳だって当てにならない」というのはつくづく感じる。

Thursday, July 05, 2018

読書感想「OUT」





(上)(下)とかなりの長編で、全編通して陰鬱としたくらーい雰囲気。
まあ、それなりに面白いけど、あまりの長さに(下)の中間以降は「もういいよー、早くさっさと終わりにしようぜ〜」みたいな。


どこにでもいる普通の主婦達が、ひょんな事から犯罪に手を染めてゆく。
その過程は止まらない歯車を連想させる。
人は、あまりにも簡単にまともな精神を失うことが出来るのだと思うと恐ろしい。
自分だけはこうならない、と言えるだろうか?

いや〜やっぱり、普通だった人間が貧困のためこうまで人を毀す事ができるのかなあ。。。


佐竹とまさこはグロいし、後半私には到底理解しがたい闇が広がっていて、読み終わった後もなんにも感動もないのが残念。
こんな長編なのに。。。


Tuesday, July 03, 2018

地元の郷土祭り



人それぞれ生まれ育った土地の伝統行事、郷土祭りというものを見て育っていると思う。(引っ越しなどが度重ならなかったら)


私は、幸か不幸か生まれも育ちも結婚をするまではずっと同じ家だったので、その地元の1年に一回行われる郷土祭りに小さい頃は親しんできた。


それは香取神社のお祭りと言われていて、毎年7月の第一日曜日が最終日になる3日間に行われている。
今でも。


お祭りの、屋台やその浮き立った雰囲気にそわそわさせられ、小学校45年生位までは毎年行っていたと思う。
その言い伝えとか歴史とかにはかつて全然興味はなかった。
おはずかしながら。

屋台で好きな食べ物を買ったり、誰々と会ったなどと友達同士でキャーキャーさわいだり、なんか陰鬱な気配を感じる出店の奥の 怪しげな見せ物に怖くなったり、、、思い出は尽きない。

うちは商売をやっていたので、学校から帰宅するとうきうきして一日目は学校の友達と、二日目は親と行く、というのが 恒例のスケジュールで、さて三日目はどうだったっけなあ?

中学生くらいになると、そんなお祭りは飽きてきて、高校生、大学生の時期には地元のお祭りなんかダサいと感じるようになり、もうだんだん行かなくなって来たと思う。
就職するようになると、お祭りの時期には、ああ、そんな祭りがそういえばあったっけなあと感じる程度で、そのうち結婚してからは、この地元から出てしまった。




そのお祭りである。



人生、思いもよらぬ事が起こるもので、今年は息子がお嫁さんとおばあちゃん(私の母)と行っている。
私抜きで。

孫夫婦が来ていてうれしさはち切れんばかりに、今日は香取神社のおまつりなのよ〜」と電話で母親が 言っていて、その言葉を聞いた私はとても懐かしくなった。


獅子舞の光景が思い浮かぶ。
横笛の音色までもはっきりと聞こえる。
私も急にお祭りに行きたくなった。
必ず買った屋台の「あんず飴」と「やきそば」。




30年以上も前、地元はダサいと言っていたのではなかったのか?

やはり 外に広がる世界を夢見ては、出て行きたくてしょうがない若気の至りの衝動が過ぎると、生まれ故郷というのは、こんなにも懐かしくて愛おしくなるものなのだ。




地元出身の母親に、子供の時にこのお祭りに行ってたか聞いてみた。

そうしたら、やはり行っていたようで、当時は、お祭りの日は学校がお休みになり、新しい洋服を着ていけたので、とてもうれしかったらしい。


たしかこのお祭りの時期は、ちょうど梅雨なので、いつも天気予報を気にしていたと思う。
3日間のうちかならず2日ほどは雨で(でも止む)浴衣を着て下駄を履いてぬかるみを歩かなければならないのだ。




だれかが、「雨の神様なんだから雨でいいんだよ」とはきいたことがあったが、今よくよく由来を調べてみると水害をせき止めようとした、とか。


「五穀豊穣、長寿、悪病退散」を祈願したお祭りは、1582年から続けられているらしい。


400年以上、すばらしい。
ダサい、なんと言って申し訳ない。。。