Sunday, July 22, 2018

縄文人や現代日本民族の形成過程が解き明かされつつある?







日本民族形成のイメージ日本人のルーツを探る時にこれまで3つの仮説があったそうだ。

「小さな突然異変を起こした。」
「民族の入れ替わりがあった。」
「複数の人種が混ざった。」


このうち、DNAの解析から最近ではようやく 「複数の人種が混ざった。」ということが明らかにされつつあったという。




これまで、世界の古代人のゲノム解析が進んでいたものの、東南アジアから日本にかけての民族形成過程について調べた論文成果を見かける事はなかったらしい。

もちろん研究レベルの問題、技術的な理由もあったらしいが、高温多湿地帯のためDNAの変性が激しかったからだ



今回古代人ゲノム解析それぞれの関係が明らかになったのは記述をそのまま見ると、
東南アジアの民族が、文化的に優位な民族が他の民族を征服し置き換えるのではなく、混血を繰り返しながら文化を共有していったことが明らかになったことだ。

すなわち、異なる民族間で、ある種の平和的融合を通して混血と定住が進み、各地域の民族が形成されたのが、東南アジアの特徴と言える。

事実それぞれのグループにはインドやパプアニューギニア民族からの遺伝子流入も見られることから、この融合範囲はかなり広い。

縄文人の遺伝子解析はこれまでも行われており、東アジア人とも、東南アジア人とも違った、まだわからないルーツがあるとされていた。

ラオス・マレーシアに移住してきたグループ1の末裔が東南アジアを経て日本に到達するまでに、その途上の民族とおそらく平和的に混血を繰り返して日本に到達したのが縄文人になる。

そしてこの縄文の遺伝子は私たちにも脈々と受け継がれている。伊川津縄文人からその後の3000年のうちに更に東アジア人と混血を繰り返して現代日本人が形成されたことになる。」ということだ。





東南アジアでも、歴史が始まると多くの争いが起こり、征服や支配が行われるようになる

しかし、農業が始まる頃の定住と民族形成が征服ではなく融合が基本だったことは、東南アジアの精神性の重要な基盤となっているのかもしれない。





事実、 その後マレーシアでもマラッカ貿易時代という歴史的に大きな世界貿易の拠点になって何百年も多くの国(中国、インド、アラブ)が混じり合いながら、決して植民は行わずに(西洋人が入ってくるまでは)平和に商いをしていた。

そして多くの混血を残して多民族国家になった、というマレーシアの例で歴史を見ると、アジア系というのは、征服というのを避けて穏やかに生活をする性質がもともとあったんだろうなと想像をかき立てられる。





イメージ的には(表向きには?)単一民族だったと思っている日本人が、結局のところ「実は世界一多様な遺伝子が混じった民族であった」ということは、なんとも愉快な話だ









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