Saturday, July 29, 2017

Heap up your own bricks each day.

 

暑い中、外で何かを作るのは大変な作業で、何かを作るというクリエーションの時間は頭も使うし疲れるのだが、案外こうした時間はワーカーさんも楽しんでいる。

毎日のルーティーンで飽きたところに、たまにはちょっとした違う仕事も必要。

例えば、レンガ作業。
建てている目的がわかった上でレンガコツコツと積みあげて行く作業は、初めて行う作業でも教わりながら、苦しくともやがて完成するというビジョンがあるので、やり遂げる事に満足感を見いだすのだと思う。


そして、人生にも、同じ事が言える。

日々できるのは小さなこと。
でも、何か大きな実現したい夢があれば、そのために小さなことを積み重ねていくことにな

進んでいるのか、後退しているのか、たまに見失ってしまう時もあるけど、私はだいたい「10年後をイメージしてみる」という事を考えてみる。
そうすると、自ずから、(おそらく無意識にも)実現に向けて着々と、そして小さな変化を起こしてみようと突破口を探していたり、あわあわ黙々と、がんばっている自分がどこかにいるのがわかると思う。

Saturday, July 22, 2017

Who is the first around world by sea voyage anyway??



 



 マラッカというと、 14世紀末15世紀初頭香辛料を中心としたマラッカ海峡貿易を基盤とするマラッカ王国の全盛であった歴史が有名だ。
 中国、中東、そしてインド、ヨーロッパから貿易のために多くのビジネスマンがマラッカに上陸して、その後植民地時代となった。

 こうした背景があるために、マラッカには当時に関する多くの歴史的博物館や資料館があるが、街をフラッとするだけでも、色々な文化が融合した雰囲気が未だに残っているので、観光地としてはとても楽しめる。
 また、ユネスコ文化遺産地域でもある。

 数多い博物館の中でも、ジョンカーストリート近辺にある「海洋博物館」と「チェンホー博物館」。
 すべて徒歩圏内だ。
 「海洋博物館」では、「世界航海一周した人は、本当は誰だったのか?」が展示されている。一般的に知られている、初めて世界 一周航海を果たした人物といえば大方がマゼランと答えられるに違いない。
 マゼランがスペイン艦隊の指揮を取ったリーダーであることは言うまでもないが、実はマゼランは世界一周を果たす事なく、セブ島で戦死している
 同行記録者によると、マゼラン死後、彼のごひいきであった奴隷翻訳者である、マレー系のアワン(英名エンリークEnrique)という人が船の指揮を再び取って、スペインに帰港したという話がある。
 西洋びいきなのか日本でもあまりこの人の名前は聞く事がないが、この海洋博物館では、彼の銅像までもしっかりと見る事が出来る。
 この海洋博物館にはエントランスで日本語の説明が聞けるガジェットをRM3(約75円)レンタルする事が可能だ。

 もうひとつの「チェンホー鄭和博物館」。
 ここでは、人類で初めて世界一周の航海をしマゼランよりも100年ほど前中国人の艦隊が世界一周していたというチェンホーのストーリーがある。
 人類で初めて世界一周をしたのは実は中国人だった、という調査結果をイギリス人の研究者が発表し、論争を巻き起こした。
 明朝時代の朝廷に使えていた大臣級の有力者鄭和の艦隊は1405
1433年に7回の遠征を行い、最盛期には300隻以上の大編成で航海していたと伝えられている。
 鄭和は、天体の角度を測定する装置六分儀を使って自分達の船の位置を記録しながら航海していたらしく、その「六分儀」測定方法の詳細が、博物館では見る事が出来る。文献によると、船の大きさはコロンブスやマゼランと比較して30倍の大きさで、中国では10世紀、すでに造船技術そのものがヨーロッパよりかなり進んでいたらしいのだ

西欧文明が世界史を支配するようになっから、「人類初の偉業はすべて西洋、ということが「常識」になっているが、私は、50年後くらいには歴史はアジアの偉業に塗り替えられる日もそう遠くはないと 思っている。














 


Thursday, July 13, 2017

The Book review "Dolphin daily".




最近読んだ数冊はイマイチ惹きつけられる本がなかった中でもやっと読み終えた「イルカ日誌」は読み応えがあった。
全ページ328ページあるが、訂装飾は横書きで1ページが文庫の3ページ分くらいはありそうな文量だ。



イルカへの探究心をもちつづけた少女が、やがて海洋生物学者となってバハマの海へと旅立ち、そこでイルカたちのコミュニティを間近に観察した25年間の記録を綴ったもので、彼女の揺るぎない持続的精神力、断固たるポリシー、深い洞察力、啓蒙的な研究にはただただ敬服するのみで、こうした生き方に「羨ましい」などと言っては軽率すぎるように感じる位だ。




一方で、まだまだ今の科学では人間を含めた動物の生態は知らない事が多いんだな、という事を改めて思い知らされた。
それは、たとえ子供が思いつきそうな当たり前な疑問に対してもだ。







この本で一番強い魅力は何と言っても「自然界全体に対する敬意」。
人間はいかに自分の種を中心に世界をつくってきたか。
彼女のモットーは「彼らの世界で、彼らの望むやり方で」。
この言葉がプロジェクトの方法のすべてを語っている。



都市部で生活している場合、私達が野生動物と出会う機会はあまりない。都会の真ん中では虫さえも見当たらない。海、それも海中で、となれば、さらにその経験は稀なものになる。

野生動物を知らなくとも、日常生活に困ることはない。しかし動物に対する理解がないと、自分たちが属する人間社会への理解度も低くなるような気がする。



動物には、人間が想像するしかない感覚の世界に生きている。聴覚、視覚、味覚といった違いに加えて、わたしたちの理解が及ばない世界に住んでいる。人間が通常思う自らの文化への思いと同様、彼らの彼らの文化の存続への願いがそこにはある。(と信じる)

わたしたちのものに相当するような、でも同じではないと思われる心があると私は信じる。




もう一つのポイントは、人間が飼育する野生のアトラクションやヒーリングセラピーなどと謳っているエンターテイメントについて。

日本の和歌山県で毎年行われているような大量に家族や仲間を虐殺された経験の後に、生息地から連れ出され、見知らぬ閉じ込めた飼育環境に置かれ、人間の娯楽のために訓練を受けている、という事情をひとたび知れば、おそらく誰にとってもイルカショーは、気持ちのいいものではなくなるだろう。
彼女のように、25年にわたって野生のイルカがどんな能力をもち、どんな社会をつくり、どんな暮らしをしているのか、間近に観察してきた学者にとっては、それはきっと耐え難いものだろう。

しかし私達一般人のように海にいるイルカのことをそれほど知らなかったとしても、彼女の話を聞き、少し想像力を働かせれば、人間社会がどんなことを野生動物に強いているかに思い至ることは、それほど難しいことではない。

こうした野生動物に関する教育が増えれば、より多くの人が野生動物を利用したエンターテイメントに興味を失い、アトラクションが消えていくのではないか、と期待したい。

If possible You need to keep well regulated life habit for long run.




私のモットーの一つに、いくら忙しくても「ちゃんと食べて、シャワーを浴びて、きちんと寝る」という事がある。

無駄な我慢はしない。(やたらと我慢はしないというのではなく、あくまでも無駄なと判断したもの)



あとは忙しい中にも自分への時間の配分は怠らない事だ。



これさえ全部あれば、まずはパンクしない。