Saturday, December 24, 2016

Japan has a gentle spiritual culture.




最近母は「毎朝仏さんに拝んでいるんだけどね」と言う。

仏壇の中にいる母の家の仏さんというのは彼女の旦那さん(私の父)だ。

きっと「今日も私を守ってください、、、」というような事を毎朝言っているのだろう。。。笑

実際に仏壇に合掌して語りかけている時、本当に亡き人と会話しているわけではないと思う。これは亡き人を偲びつつ、自分自身を振り返えり、悲しい気持ちを癒す。

亡き人の生前の教えや思い出を噛みしめながら、自己の反省をしたり、冷静な自分を取り戻すのだろう。

「申し訳なさ」「感謝」「尊さ」の思いと共に亡き人を通した自己分析調整とも言うべきか。


結婚をするためにイスラム教に改宗した私だが、神と呼ばれるものは唯一だ、いうことは信じられる。
人間誰もの心の中には神がいて、拠り所にしている。決定的な神は私たちを生かす。


それでも、私の心の中で何処かしっくりと来る、日本人の独特の柔らかい感情も炎のようにゆらゆらしている。
八百万の神と言われたように、万事に至って神が宿っている、というような感情に親しみがわくのだ。
日本にはモノを擬人化する習慣がありけど、モノに「さん」を付けて呼ぶことで、尊敬の念や親近感を持とうとする不思議な文化。



日本は本当に優しい精神文化の持ち主だと思う。

Saturday, December 17, 2016

Which living place give life to your soul?



たまに日本に一時帰国してみると 、日本は豊かな国だということがよくわか 

谷村氏の言葉を借りるならば、

ゴミ捨て場にはまだまだ使える物があふれかえり 、人々はこぎれいな格好をしています 。レストランやブティックは世界の最先端 。公共交通機関は清潔で 、バスや電車は新品なのが当たり前です 。道路にはひび割れがなく 、手や足を失った物乞いはいません 。失業したり住む場所に困れば 、生活保護などの公的保護に頼ることだって可能です 。市役所の人は賄賂を要求するわけでもなく 、質問すれば親切に相談に乗ってくれます 。火事が起これば消防車が消し回り、警察に賄賂を要求されることはまずありません 。公共施設はどこも新品同様で清潔に保たれており 、使用料金も安いです 。世界にはこんな国はあまりないと思います

本当にその通りだと思う。

 

欧米に行っても、そしてここマレーシアにいても、サービスを受ける側としては、日本と比べちゃあそりゃあ不便に感じる。しかし、心に余裕を持ってローカルとともにフレキシブルに暮らしてみると、これといって支障はない。いかんせん働く人の側は正気で、より快適に働こうとしている。

同僚同士で冗談を言い合ったり、店の人が客に冗談を言ったりしていて、心のゆとりを感じる。

心のゆとり」というのは、少々のことも真剣に受け取らず受け流すこと 、笑いのセンスがあること 、少々いい加減であること、失敗しても気にしないこと 、人が間違っても許すことなどの 「心の余裕 」のことだ。 「ゆとり」があるということは 、私的なことに費やす時間があるということで 個々の生活のペ ースがある。

 気持ちが穏やかである 。

 

 

日本は便利な事この上ないが、その行き届いたサービスは、働いている人側にしわがよっていて過労死までにいたっているのだ。信じられない話だが、職について悩み自ら命を絶つ人は大勢いるのだ。

ここでは世間を気にしたりしないので自由だ。失敗しても死ぬこたあないさ。

少々不便だったいいではないか。そんなカリカリする理由なんて全然ないよ。気持ちを楽にいこうよ。

 



Friday, December 16, 2016

Pitiful Japanese? You stand by your self?


仕事の関係で日本人と話をする機会が結構あるが、いつも思うことは、「なんだか、ちょっと情けないなあ〜」という事だ。

彼らの多くは何か日々辛い事があり、悩んでいるように思う。それでも、それを他人事のように語り自ら改善しようという主張が見られない。

そうした社会にいて、どうしたら良いかわからない、というのが本音のところなのだろうが、余りにも自分の意見がなさ過ぎるように思えて仕方がない。

 

「私ならこうしたい」と言う提案、異なる意見を出した話し合い、

「自分がハッピー不幸かは自分の責任ではない」という傍観者的なスタンスと、あきらめ、それでも愚痴を言い続ける人に私は非常に腹が立ってしまう。

 

社会や会社を数人の意見でシステムを変える事はできないだろうが、あまりにもほとんどの人がこうしたスタンスゆえに日本は住環境が悪化する一方なのではないだろうか?

 

 

自分の問題を直視せずに何かを変えようと言う行動をとっていないのではないだろうか?

 

ゆえに何も言わず、いつも誰かがどうにかしてくれる事を待っている。

 

自分の人生をよりよくしたければ、自分の問題を分析して自分の頭で考えなければいけないのは当然だ。

日本は他の国と比較して稀に超便利がよくて、整備されいて、清潔だ。こんなにある意味で居やすい国が稀なんだと言うありがたさがわかっていない、それがかえって逆に平和ぼけと言われるような事態になっているのかもしれない。

Thursday, December 15, 2016

"detective analytics - the power to predict who will click, buy, lie, die" book review




『ヤバい予測学 「何を買うか」から「いつ死ぬか」まであなたの行動はすべて読まれている』

 

私たちは、インターネットサーフィン、またはオンラインショッピングや様々な登録をする時に、さらにはネットに繋げているだけで、それなりの個人情報がデータとして流れる。何も情報をインプットしているわけでもないのに、データは先方に蓄積される。企業側では、クレジットカードのデータ、大型店舗の顧客データ、ネットショッピングの売り上げデータ、インターネットの検索データなどなど、膨大な量と迷路に入り込んだような複雑さだ。

でもそれらは、膨大な量にかかわらず未来を予測してくれる宝の山であることが分かり始めて、貴重なデータへと変わりつつあると言う事が書かれている。

興味深いけど、率直に、、、内容が少々難しかった。

 

 従業員の退職可能性といった社員データから算出するケースや、買い物データから女性が妊娠しているかどうかを予測するケースなどの例を載せ、

「取引に関する情報は、いずれある段階で、取引そのものより重要になるだろう」

「扱いようがないと思える無形のものも、測定できる」

というような現状を語っている。

 

このような予測分析は、一歩誤ると個人のプライバシーの侵害してしまうという負の側面をもたらしかねない。

今後人工知識、ロボット人間とかと同様にどう扱って行くか、まさにこれからの人間の心根一つなのであって、遅かれ早かれ近い将来こうした難しい問題に直面していくのだ。

 


Sunday, December 04, 2016

And a feeling out of place.






毎日毎日雨でじくじくと、ちょっと気分的に陰である私は、ネットのニュースを開いてまたもやげんなりとする。

ASKAさんの映像が不適切」だの「藤原のりかが芸能界からつまはじき」だの「だれかがガン」だの、、、

大量のマスコミが、何が大切な話題なんだか、こんな事ばかりを流している。

 

なんでこうも日本の民放テレビやメディアは墜落しているんだろう。

 

私がとやかく思ってもしかたがないけど、多くの人は同じ事を思っていると思う。一帯誰が喜ぶのだろう。

なんで、日本はこうも世界が見えないんだろう。

 

他海外局BBCをつけてもアルジャジーラもつけてもトップニュースは「シリアの人道問題」だったり「カストロの功績」だったり別世界なのに、、、

 

 


とイライラ気味でしたが、晴れ間がのぞいてきたので、気分を改めて仕事に取りかかります。


人生はいそがしい。


不合理な常識とシンプルな決断。

Friday, December 02, 2016

Make the commitment to do your best, and simply do it.



 

最近になって、もうちょっと先、高齢化した時の事をできるだけ具体的に考えるようになった。

KEPYOKはどうするのか?

年老いた母親はどうするのか?

健康でいられるには、よりよい質のある生活をするには?

 

もし健康でいられれば、70-80代になってもより若々しく活動する時間が増えるということで、その恩恵をどうすれば個人や社会全体で享受できるのか、考える。

 

日本人の平均寿命は80歳を超えている。

 

マレーシアは多くの人は「夢、目標は?」と問われると、若くしてリタイアしたいという声をよく聞く。

 

40,50になってくると、体力の衰えを否応もなしに突きつけられ、もう65歳が定年というゴールを設定してしまいがちだが、私は健康である限りできるだけ仕事をしていたい。

 

 そうだ、「貧乏暇無し」とはよく言ったもんだ。

 

老後資金だって、人生90-100年時代を考えると、65歳で完全定年は非現実的だ。そんなに莫大な貯金をしている人は一般的に少数であると思う。

 

世界の他国と比較して貯金が多い日本人でさえ、老後は、現役を退き、長く生き続けること自体が危うく、よほど用意周到に備えなければ老後の暮らしが破綻するとネガティブなイメージで考えがちだ。

高齢夫婦無職世帯の生活費は月額約27万円で年間約324万円。30年生きれば9720万円にもなり、「3000万円貯めても危ない」というのだ。


でも本当にこれだけのお金が必要なのだろうか。

長年マレーシアでマレーシア人を見てきた私は信じられない思いがあるもちろんマレーシア人は一般的にこんなに貯金はないはずだ。

社会システムの違いはあってもさほど福祉に恵まれているとも言えない。

 

昔からマレーシア人の気性はあくせくとしていないが、それは1年中温暖な気候のマレーシアでは、働かなくても食べる物に困らない、というのが一理由だ。でもこの現代の都市部ではそうはいかない。

マレーシア人は、生活防衛に悩むよりも、夫婦で身の丈に合った住宅投資やスモールビジネスを始めたり老後を自分らしく、楽しく生きようとしている。

そして周りにも寛容的だ。


急場をしのぐための貯金と、暮らしのスケール。贅沢はできないけれど、幸せが感じられる毎日。

 

それはどのようなものか。

 

働くパターンもこれからの時代は多様に変化していかなければならないだろう。

自分の健康をリスクにさらしてまで仕事をするのではなく、ちょっと前から徐々に自分のやりたい小さなビジネスを少しずつトライしていったりするといいかもしれない。   

同じ会社で勤めあげることは現実的には難しいし、今後はフリーランスやジョイントベンチャーを志すというのは絶対にいい。

 

また健康を保つバランスとして、地域貢献や趣味、友人、新しいスキルの習得など、仕事以外に費やす時間も大切だろうお金とはちがった価値の喜び、そして活力につながると思う。(わかってはいるんだけど結構一人でこもりがちになってしまう傾向があるか、これは自分自身へのコトバです)

 

 

ハッピーに生きていくためには自分の時間をどう使うのかがとても大事なのだ

 長く生きることより質

 

私たち一人ひとりが自分たちで考えて行動する