Saturday, November 26, 2016

A Baggage claim.



 今年の5月にインドに行っての帰り。


預け荷物のひとつが革のボストンバッグで、受け取った時に見事にハンドルの部分が切れていた。

ベルトコンベアからピックアップした後、即マレーシア航空バッゲージクレイムのカウンターへ向かい、クレイムフォームなるものに記入し、「1週間後くらいに修理のお店から電話がかかってきますから」ということだった。

 


ここはマレーシア。

修理場にこぎ着けるまで、なんやら、かんやらとあり、

結局、結論では「これはブランドバッグなので修理はできません。引き取りにきてください」ということに。

 

これで終わりなの?と疑問に思った私たち。

長年エアラインにいた彼はまだ多くの知り合いが空港で働いているので、その友達に相談をしてみた。


そうしたら、修理ができなかった場合は、新しいトランクをくれるとの事。

 

 

これはそのトランク。

どこからかのお流れなのだろうが、まあ使えそうじゃないか。

 

と、今回の「クレームを出して直せなかったカバンだった場合は、新しいのをくれる」という事が、特に公になっていない訳ではないが、大々的に言っている規定でもないということ。

 

もしこんな出来事があったら、新しいのくれますよ、っていう情報でした。



裏方には何処もかしこも修理予定のバッグが山積みになっていた。 

Wednesday, November 23, 2016

Book review ""in a part of the world".






我が家は私が全然テレビを見ないが、主人がたまにドキュメンタリー系かサッカープレミアリーグ、ニュースを見ている。
ニュースは決まってCNN, BBC, アルジャジーラ。
ニュースでは毎日のようにアメリカ政治とシリア内戦が繰り返し放映されている。
シリアではおびただしい民間人が毎日のように犠牲になっている。



日本もかつて戦争による大きな被害を受けた国として多くの情報を本で読んだり映像としてみたりする事がある。


私が中学高校の頃は、修学旅行は広島、長崎だった。
学校でも戦争のはなしを読まされ、全ての行事など原爆関連ものだった。
その頃は、「もう既に悲惨については知っているから、もうあんなしんどいのばかりは勘弁してほしい」というのが正直の思いだったように想う。



その悲惨さに憐れむとか私たちにできることは何かということは今回さて置いて、今日は「この世界の片隅に 」(漫画3セット)だ。


一般人の普通の生活の日々が描かれる。
やわらかい日々だが、もちろん死はそこかしこにある。


私は戦争の体験は一度もないけど、現代人には想像もつかない程戦争時代の生活は当然辛く苦しいものだったろう。



それでも、この「この世界の片隅に 」には、人は生きている限りどんな環境にあったも楽しみを見つけるもので、その瞬間その瞬間を少しでも実りあるものにしたくて懸命に生きているものでなのだということを知らせてくれる。
どこかに人間がいる限り、そこには人同士の営みが当たり前にも行われている。



戦争で不自由な生活の中でも、みんなが笑ったり泣いたり愛したりして生きる姿を活写するこの作品は読んでいて心に沁み入る。


Tuesday, November 15, 2016

The book review "yesterday's curry, tomorrow's bread".




『昨日のカレー、明日のパン』。
面白かったかといえば面白かった。
あわあわとしている感じか。



短編で主人公を変えながら時空を越えた連続小説に仕上げたパターンというのは最近流行っているのか、偶然にそうした小説に当たるのか。。。?
描写が回帰的に連続して、終わりでまた静謐な描写の文体に戻る。


若くして夫を亡くし、死別後もその義理父と住んでいる女性。
奇妙な関係だが、2人とも心地よくて共同生活がやめられない。



でも個人的には「まだ若いんだからこれじゃあだめだよな」とお節介を言ってあげたくなってしまう。



 私たちは普通絶望を過去に置いて、希望を未来に置く。
あるいは過去に置いた希望が失われたことを現在の悲劇として描く。
本書はそのいずれでもない。
悲劇の本質はそのままだし、希望の本質もそのままである。
おそらくそれがセツコさんという全編を通した主人公の鎮魂の一つの可能性としてこの作品で開かれようとしているのかもしれない。




一つ驚いたことと言えば、原作者木皿泉というのは、夫婦のペンネームだったこと。