マレーシアで第二の人生経験をスタートする人たちへ


ある朝、いつもの様に子供達を学校へ送り出し、ふと空を見上げてみると今日はやけに空気が澄んでいることに気がついた。
 ベランダで洗濯物を干している時も、ずい分今日はすてきな空ではないかと考えていた。
空は深く青く、細かい白い雲が点々と散っている。
太陽だっていつもよりシャープだ。
直視できない程の強光が近くの建物に反射し、遠くに見える山をもより鮮やかな緑に染めている。
いつもならぼやけて見えない遠くの高速道路に光で反射した自動車がキラキラと数珠をつないでいる。
青空に飛行機が現われた。太陽の光を浴びて機体が角度を変えるたびにギラッと光った。

 洗濯物を干し終えた私は、コーヒーを入れてテーブルに一息ついた。コーヒーをすすりながら外の木々をながめているうちに家の中の観葉植物達もこの澄みきった青空の下に置いてあげたいと思うようになった。
私は、家の中で所々に置いてある大なり小なりの観葉植物達を次々とベランダに運んだ。たっぷりと水をあげると植物達は太陽の光の中でキラキラと喜んでいるようだった。

 運びおえると急に1つの枯れかかっているべンジャミンを思い、新しい青々としたものと変えたくなった。この大きなべンジャミンは一ヵ月前にはちを移しかえただけなのにすねてしまい葉が生き生きとしなくなってしまったのだ。
肥料をきちんとあげたのにもかかわらずヒラヒラとしている葉を必要以上にくねらせ、しだれ柳の様に枝から下へたれてしまっている。

 うん、そうだ、早朝に園芸屋さんにでも行ってもっとたくさんの植物を見るのも悪くない。せっかくの気持ちのいい日だ。
 近くの園芸屋さんへ歩いていくと、私の目は扇子を広げた様な、一つ一つの葉はバナナの葉と同じ形をした低木に止った。
私はいつでもどこでもそうなのだが、迷うということを知らない人だ。全体的にパッと眺めて、気に入ったものがあるとすぐにピタッと一ヵ所だけに目が止まる。黄緑の扇子型の木は、とても涼しげで部屋の中は明るくなる事まちがいなしだった。
 「これ、いくら?」
 「35ドルだよ。」
 「ゲッ!そりゃ~高い。そこのショッピングセンターでは、28ドルで売ってたよー。」
 「それとこれは質が違うんだよ。」
 (う~ん。切り抜けがうまい。でもここでおとなしく折れることはできない・・・)
 結局30ドルで交渉が成立し、私は汗だくになりながらこの扇子木を家まで運んだ。
 予測通りに、木は部屋の中をさらに明るく、そして涼し気にしてくれた。私は毎日水をあげて大事にした。
 ところが、である。ある日を境にこの扇子木は無残にも茶色く枯れかかってきた。いくら水をあげても肥料をあげても陽にあててもだめで、数週間後にはほぼ全絶と思われた木に私は愛想をつかし、一ヵ月位ほったらかしにしておいたのだった。

 そしてある日突然、私は何を思い直したか自分でも定かではないが、あきらめていた扇子木の土をほりおこし、新鮮な土にとりかえはじめた。根元だけ残して、殆んどの部分をはさみでカットし、毎日ミネラルウォーターをあげて「ごめんね、元気になってくれ」と話しかけもした。
 そうすると、そのかいあってか、1週間後くらいには初々しい緑色の顔をのぞかせるようになったのだ。私は喜んで、「扇子になるまで育ってよ」と毎日語りかけた。葉はしっかりと、どんどんと大きくなってゆき、その後の新葉が数枚も成長してきた。私はさすがに、コミュニケーションがあると思って感動した。
愛に応えてくれたのだと信じた。
それは、動物も人間も同じで、愛情はどんなビタミンよりも美容液よりも効く最高のトリートメントなのだ。「だめだ、こりゃ」と諦めて捨ててしまわなくてよかった。
世界とはこんなにも微妙なのだ。



前置きが長くなってしまったが、ここで私は今の日本の状況にある物質主義、所有欲から解放され、そして雑ごとから解放され、改めて人生を外から見てみることによって、人間とはこんなにもシンプルなことで喜びを発見し、その根本がどんなにすばらしいか、そして幸福に満ちているのかということを伝えたかったのだ。
これから何に背骨にすえ、どこを目指せばいいのかわからない、何かが大きく様変わりしつつある日本の外に出て生活をしてみると、これまで気がつかなかった何かが見えてくる時もあれば、違った風に見える時もある。

私は、外国で生活を始めようと決心しかけている生き生きとした人達に、日本が遠くに忘れてしまった、何か大切なものが拾える、そんなマレーシアで第二の人生経験をスタートしてほしいと願っている。 

今の定年退職者以上という年代は、戦後の日本復興時代に、がむしゃらに働いてきた人たちだろう。仕事はつらいもので当たり前と捕らえてきた人も多いかもしれない。やりたいことも、好きなことも、仕事で忙しくあきらめていた人もいるかもしれない。今、その仕事から解放され、第2の人生、または第3の人生に向けて、違う新しい生活への選択の分岐点にいる。

趣味をするのもよし、好きでしょうがないことを日本以外の国でビジネスという形にするのもよし。あなたの好奇心がこれから、かけがえのない価値になると信じてやまない。
長期や永住と肩を張らずに、留学気分で第二の人生、異文化に触れ、多くの価値観を覗きに来てほしい。風光明媚な自然と、おおらかで陽気でひかえめなホスピタリティーある人々、町並みの美しさ、治安がよい環境を持つマレーシアは、はじめて訪れる人にとてもやさしい国だ。

最近、世界の中での日本の薄さが気になる。アジアの国々からは、中国の台頭とバランスをとる意味でももっと日本に強くなってもらいたい、しっかりした国になって欲しいと願われている。アジアの期待に応える国になって欲しいという声をよく聞く。自由貿易協定の終結を取っても日本はしがらみが多くあり、協定の呼びかけに応えられない。しかしアジアから見ると、日本はまだまだ、金融面では優れている国というのが強く、期待できるという考えがある。このような背景に、個人的な活動で、そして得意とする分野で支援や協力をして理解を深め合っていくのも大切なことなのかもしれない。


住みよい国での幸せな生活-。
マレーシアにいることの意味、自分の役割、何がしたいのか、何ができるのかを、明確にしようとする心がカギとなりうるし、滞在を充実させ、また自己発見の場にも結びついていくのだろう。


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