Tuesday, April 24, 2018

読書感想「カエルの楽園 」




カエルの楽園



帯に「これほどの手応えは、わたしの最高傑作だ!」「全国民に問う衝撃の結末」
と出ているほど衝撃的ではなく期待を裏切られた。



子供の絵本的な語り口で、可愛いカエルの冒険ストーリーかと思いきや、平和・民主主義・正義・自由とは何かを考えさせられる世界の社会、政治的な内容だ。



2匹のカエルが垣間見る新しい世界の出来事に対して、正しいのか、間違っているのか、善なのか、悪なのか、そして自分の判断はどう思うのか?
と同じような迷いをしながら、最後まで延々と続くストーリーにちょっと飽きが来てしまった。



結局どの国にも完璧な楽園などというものはなく、その時その時の平和を守り、つくっていかなければならないのだ。そして、周りに流されず自分で見たものを判断し続け、動き続けるることが重要なのだ。
政治家・民衆の思想や言論を統制するマスコミに流されぬよう。







Wednesday, April 18, 2018

読書感想「東京島 」





東京島


第44回谷崎潤一郎賞受賞作。
わたしは映画は見ないたちなので、随分前に映画化になっていたのは知らないで読んだ。



このストーリーのキャストに本物の人間をつけるとしたらちょっと想像つかない(日本の俳優はほぼ知らないけど)と思いつつ、インターネットで映画予告を検索して見たら、この野生環境でほぼみんな狂人化しているのにみんなイケメン!と、自分の読書の中での想像とキャストの落差におののく。




無人島での31人の男たちと、ただ一人の女の清子のサバイバル物語。サバイバルのいろいろな状況展開のなかで、生きていくというのはどういうことかを浮き彫りにしている。




食べ物はどうにか足りるし、気候も厳しくはないが、周りは自然のみ・・都市から来た文明人に虚無的なものを突きつけている。
そして、その環境での人間の強さと弱さとを含む本質を描こうと試みている。




男と女の関係性の本質、男たちの集団というものの本質、極限での食欲と性欲への飢餓や、それらの順位の逆転、、、文字の抽象化と記録の力、宗教の意味、そして事象が一つ変わるごとに集団の質も変化する様はとっても巧みに書かれていて、その都度変化する1人女性の心理も描いている。





最後のちょっとのところで、数度にわたるストーリーのどんでん返しは、予想をコロコロと変えられ今までに経験したことのない読後感だった。

Sunday, April 15, 2018

The worst and dirtiest election in Malaysian history will held in May.





2018史上最悪のダーティーな選挙

かつて新聞にマレーシア関連ニュースを書いていた頃は、国内政治に関してもホットなニュースを追わなくてはならないし、またそれは関心事だった。
この歳ほどにもなると、世の中でどんな事が起こっているか関心は薄れて結構どうでもよくなる。もちろん、将来子供や孫、そして代々(続けば)、そして人間社会を取り巻く環境は悪いより良い世界の方を願っているし、そうなるべき社会に向かってどう進むのかを見守る


4月7日に国会が解散されて、いよいよ選挙に突入するマレーシア。
最近興味は薄れたとはいえ、周りのマレーシア人にとってもこれほどの関心が高いトピックはないし、もうどこもかしこも選挙に向けて浮足立っているので、否応が無しに事態をフォローするようになる。


5年に1回実施の総選挙。
今回の選挙事実上マレーシアの運命を極端に分かすほど、歴史的に60年ぶりの政権交代が期待される選挙なのである。
そして一対一の与党(ナジブ現首相)と野党(他党が団結してマハティール元首相をリーダーとする)の対決だ

みんなあんまり細かい事は言いっこなしの状況に来ている
どこの党が、また誰が当選すれば、その地域にとってこのような 良い事が生み出される、などと言っている次元の場合ではないのだ。

ナジブが再度続行するのであれば、マレーシアという独立国家はなくなると思う。これからもこれまでのように好きなように不正を働き続け、首相の座死ぬまで永久という新法案を作り出すという。



一方で、建国の父といわれる92歳のマハティール。歴史的な政変をここで起こす事が出来るのは彼しかいない、とみんながみんな公言している。

政治から一度足を洗った彼が、独裁開発指導者としてではなく、愛する自国の将来のために最後の力を振り絞って民衆のために立ち上がった。



まずこれまでのナジブ

本人も公言している国際的なスキャンダル
ナジブ一族が関わる政府系ファンド1MDBの巨額公的不正流用疑惑。(これにはディカプリオやミランダ・カーも巻き込んだ米国司法省が民事訴訟を起こすなど世界の6カ国以上で捜査が進められている)
中国マネー獲得のために、マレーシアの外資認可規制を無視し、中国にどんどん身売りしている。マレーシア国産車の「プロトン」の中国企業への身売り、インフラ整備に伴中国政府から巨額の債務、中国人のための4つの人工島が作られ、マレーシアの最も価値のある土地の大半が国人に専有されそれらは外国の土地同様になる。これはすべて、自分の犯した巨額公的不正流用を埋めるためだ。しかし、マレーシア国内は中国の影響力が増大し、国内企業は衰退の一途を辿だろう。

 

そしてここへ来て選挙対策にナジブは、
公務員の給与所得値上げBR1Mなどのバラマキ公約。
与党に有利な選挙区割りの法案改定
マレーシア政府は1MDBについてはフェイクニュースと定義づけて、メディア封じ込めの反フェイクニュース法案強行採決。
マハティールが代表を務めるマレーシア統一プリブミ党への締めつけを強化。 書類不備30日間の活動停止を言い渡した。

選挙日は、59日の水曜日。
ナジブの都合とか、週末は不公平とか(イスラム州が金曜日が休日だから)、過去も平日が数回あった、とか言われていて実際なんで平日になったかわからないが、この日選挙日は急遽休日になった。

もしこれで、野党が勝ったら、このまま水曜日から日曜日5日間の連休になるとも。。。

Sunday, April 08, 2018

子猫




偶然にも2匹のめす野良猫が2月の終わり頃にやってきて、ほぼ同じ時期に出産した。


正確に言うと1週間違い。


先に産んだ方は、うちの住まいの裏の方で2匹、後からのはワーカーさんの家の方で7匹、産まれてすぐにワーカーさんが発見したので、たまたま会った猫のケージに布を敷いて、親も入れるようにしてそこで育っている。


うちの住まいの裏の方で産んだ方はというと、とっても人見知りをする猫で、餌をあげても、人が見ていると食べない。

そして、あまり覗いていたんじゃ母猫が食べてしまうんじゃないかと思い、あまり見ないようにはしていたんだけども、結構、その後、引っ越しを繰り返していた。
本当に注意深いお母さんだなあと思っていたところ、2匹の子猫がちょうど1ヶ月少しした頃だ。



ある日子猫の鳴き声がずいぶん近くからノンストップで聞こえるようになった。
「何処だ、何処だ」と探してみると、どうやら天井。
天井板と瓦の間で、外からたまにふわふわした身体が見えた。想像するよりも、動きが取れるスペースがあるらしい。
私は、ここに入れた母親の目的を考えてみたが、一番始めは「これまで通り、場所変えの一環なんだろう」と思っていた。

鳴くのは、一日中ではない。

次の日の朝も鳴いている声に気がついた。

このあたりから、結構そわそわと胸騒ぎがして、
というのは、ちょうど午前中に母親ともう一匹の子猫が一緒にいて、
そのもう一匹の方はかなりちょこまかと走れるようになっている。

この時期になって、もう一匹のみを安全のためにどこかに置いておくと言う事があるだろうか。
健全であるなら、そこに、本来もう一匹も一緒のはずではないか。

夜遅く、シャワーを浴びていると、屋根裏に通じる塀に母猫がいるのを見かけた。ああ、子供を忘れているわけではないんだな、とちょっとは安心した。


次の朝、3日目。
朝またかなり大きな鳴き声を天井裏からノンストップで発していて、お昼頃近くからはぴたっととまってしまった。
あんなに鳴いていて、 距離としては親にも聞こえる場所なのに、でもお母さんは知らん顔。


私は部屋にいても、なんだかそわそわしてしまって、死んでしまったらどうしようか、でもへたに助け出しても、それは猫の、せっかくお母さんが行おうとしている事への、言うなれば自然の節理に余計な事をしてしまうのでではないのか、と悶々と考えてしまった。


夕方、トイレに行くと、か細い声が聞こえ始めた。位置的にはずいぶんと違う位置だ。
天井も瓦で区切られてはおらず、結構歩き回れるスペースがあるのだろう。

鳴き声は、これまでの威勢の良いそれではなく、なんかもう消えてなくなりそうな、最後の力をふりしぼっているような(そういうイメージに勝手になってしまったのかも)
私は、鳴き声の方角に頼って、トイレに近い外側を見に行ってみた。


天井のわきは、ちょっとした穴が蟻あり、やはりそこから子猫が顔を出している。
瀕死の状態とまでにはいっていないが、切迫した様子でみゃーみゃー叫んでおり、こりゃやっぱり助けなきゃ、ということではしごに登って子猫をおろした。人の顔をみて逃げるのではないかと思ったが、その子は全然逃げなかった。





ということで、今、うちには一匹のお母さんが放棄した生後6週間の子猫がいる。

Monday, April 02, 2018

読書感想「放蕩記 」





「放蕩記」


よかったなー。

超長編はやっぱりいい。

その世界に長時間のめり込むから読書後の余韻も長くなるのが長編の魅力だ。



「半自伝的小説」と帯に書いてある。
村山さんのお母様とご本人の小説なのだろう。


女というものはこんなにもホルモンが複雑なのであって、母親に抱く違和感は娘なら多くの女性におぼえがあるだろう。

時として私もその一人だ。

親子時代、小説のような波乱は全然なかったけど、
大人になるにつれ、どうして時として嫌悪感が生まれてしまうのか、自分の感情に不信感を持つ頃。

第三者から見てもあんなにいい母親なのに、
好きな親だからこそ、そして優しい娘を演じていながら心の中ではちょっと突っ張ねてしまう頃。

ひねくれた自分の気持ちに今度は自分自身に嫌悪を感じる頃。

親子といえども、個々の人間であり、娘が成長するにつれて相性があるということを知らされる頃。

自分自身の理論や感情がうまく噛み合わない心の中。

表面的にはとても仲良くやっているけど「親子だけど気が合わない」ということへの罪悪感。





確執の共感にホッとした女性読者も多かったのではないだろうか?



どんな親だって子供に対して無償の愛も持っている。
私たち人間はそれを知っているからこそだんだんお互いが歳を取ってくるとそんなことを突き詰めて考えることはあまりなくなってくる。

年老い、呆けて、小さくなっていくその姿を受け入れて娘は、母を愛おしいと強く思うようになる。

生まれ出て初めて成立した自分の存在は、わたしの中に彼女と同じ血が脈々と流れているということだ。




小説の中の毒親は、こりゃ頑固厳しすぎるわと思い、でも関西弁と父親のとぼけた語り口が楽しく読ませていただいた。


Each of us only gets to make this journey once.






お客さんがチェックアウトするのでお見送りをするとき、
「ここはいつからあるの?」とお客さんから聞かれる時がよくある。

つい最近までの感覚では、1年よ、2年よ、それが3年くらいかな、となり、今では「5年よ」という答えを返すようになった。

はじめに13年という答えの時は、お客さんの反応は「まだ新しいんだね」だったのが、昨日のお客さんは初めて「もうそんなにたっているんだー」と言う人と「まだ新しいんだね」と言う人半々に分かれた。


「もうそんなにたっているんだー」という 答えを聞いたとき、純粋に、新鮮にビビッときた。

ああ、もうあたらしい部類ではなくなったんだよな。

それが1年さらに1年たつうちに「もうそんなにたっているんだー」と言う答えの割合が逆転していくということだ。


5年と言う年月は本当に短い。
そういえば、ここのが建つきっかけになった、思わぬ事で別れ別れになってしまった人にも恩返しをまだしていない。



2人して人生初めての試みをし始めて、とにかくできるものなのか、とにかく出来る事だけをしていこう、と言う事で必死の13年はあっという間で、楽しくもあり、ちょっと大変なときもあった。
それからも時が流れるのはさらに早かった。



当初は3-5年で感じがつかめるのだ、と自分に言い聞かしていたのがもう5年たってしまったのだ。

周りの景色も熟成してずいぶん変化した。

昨年あたりから、補修理が一段と増えた。
色々な場所が痛んでくるのはこの環境においては避けられない事で、それについては前々から承知していたものの、実際こうなってみると、結構頭が痛いのも事実だ。
こういった大規模でないプライベートな個人の宿は、メンテナンスの困難さを筆頭に、人出不足や個々の事情で5年くらいでたたんでいく場所も多い。



「まだ新しい」が「もう長い」、か。



誰も知らなかった場所が、日に日に人に知れ渡って行く不思議さ。

人生は短いけど、自分の名前が残らなくても別にいいけど、こうして自分達の作ったものや、関わってきたものが、これからもずっと長い事、これまでのようにお客さんに楽しい時を与えることができ、心に触れられているという事を想像してみた。

自分達がいなくなった後、私たちの子供達がどうにか片手間でもいいから引き継いで、または他の誰かでもいいから引き継いで、その人達が、ずっと先の時代も「あーでもない、こーでもない」と修理を重ねていく姿を遠い目をして想像するのは結構愉快だ。