Monday, September 26, 2016

Your children mean a lot to you.



最近知り合いにはだんだんと子供らが結婚して、孫ができるようになり、娘夫婦(息子夫婦)が共働きの間、孫を面倒見ているというパターンがぼちぼちと出はじめてきた。

そりゃそうだ、だんだん年取ってきてるんだからね。

マレーシアでは低所得層も中所得層も裕福層も、共働きがほとんどだ。

2人で働かないと家計がなかなか大変という状況や、女性でも管理職だからバリバリに家庭と両立している、と様々だ。


子供達夫婦と同居している、または近くに住むちょっと高齢(45-60代)の親達は、自分達がまだ働いていても、子供たちが疲れてかわいそうだから、と育児協力してあげたり、すでにリタイヤした親は子供達夫婦が他に解決方法がないために孫の面倒を見ていたりというケースが多い。


それが最近ちょっとぶったまげる知人を目の当たりにした。

その友人は、ご主人はまだ退職間際の会社が勤めで、奥さんが自分の息子の赤ちゃん(孫)を毎日面倒見ている。

息子夫婦は別町に住んでいて、息子の若奥さんは仕事をしていない。

そのおばあちゃん夫婦は孫が可愛くて仕方がなく、今ではおもちゃになってしまっているというのだ。

月曜から金曜日までずっと預かり週末だけ本当の親もとに返す生活をしている。



昔からマレー系もチャイニーズ系も、近所の手助けとして他人に預けるケースも一般化しているが、最近はビジネスとして月曜日から金曜日までよその子供を預かる家庭、またはシングルマザーなどの女性も増えている。

預ける側は、よそに預けて週末だけ引き取り我が子と一緒に過ごす。

預かる側は、他の家の子供を預かりながら自分の子供と一緒に面倒を見ることができるわけだから、外に出なくてもいいし、その女性にとったら都合のよい仕事となるのだ。


 だからと言って、私はこれらの現象を手放しで喜ぶ気にはなれない。仮に私が共働きの富裕層だったとしても、自分の子どもを週末以外すべて日を他人に預けるなどということは到底できない。

子供と過ごす時間はあっという間に過ぎ去る。

親にとっても子供にとってもかけがえのない時間だ。


基本的な社会教育は、親自らが手本になって見せて、子どもに学ばせ学校での集団生活や他者との関係で学ぶことができるのだと私は強く思っている。「子供は親の鏡」「子供は親の背中を見て育つ」とはまさにその通りだ。

子供の精神的発達のためにも親と過ごした場合と親と過ごしていない場合とでは絶対に違うと信じている。

そのためには、ある程度の時間、幼児期から小学校まで、出来るだけ親が子どもと接して過ごすことは大変重要だ。



もちろん生活がかかっていて稼がなくてはならない境遇や忙しさも充分理解できるが、まあそこそこに暮らせるならば、一生は続かない子供との貴重な時間を両天秤にかけて欲しいと思う。

せめて毎日仕事に行ったとしても月曜日から金曜日まで預けっぱなしというのは賛成できない。


こんな断言は、子育てが終了した段階の、いろいろな経験や思いから卒業した者だけが言える忠告かもしれない。



Thursday, September 22, 2016

Water shortage and adding another system.


民家から離れのkepyokは、自然に囲まれる故にいろいろな不測の事態がたまにある。それもちょっと大事な時に限って。
油断している時に限って。

心の中ではおろおろしても2人して早急な対処に冷静に取り組まなければならない。



最近、水道局の水供給が不安定でちょっとドキドキすることしばしば。

毎日雨が降っているのにね。

ダムじゃないと思うけど、この地域の水量レベルが低いっていう説明だ。
ここは巨大なタンクがあってちょっと水が止まっても2週間位保つのだけれど、水道局で止めてるというと、ちょっと心配だ。
そこでさらに水量をキープすべくシステムを構築。




タンクをもう一つコネクティングして、これで大丈夫。
ご苦労様でした。




ゲストは滅多に入らないけどkepyokには裏道というのがある。
ちょっとした竹小道になっていて涼しい。全長70メートル。
気がついたら散歩にどうぞ。



Wednesday, September 14, 2016

Goose and duck.





ブラッキーの並大抵ではない執拗さ。


ロザリッタの夫であるブルースが近ずくて猛攻撃をして近寄らせない、そしてロザリッタを24時間見守っている。


これはなんなんだろう?

異なる種の鳥が恋に落ちることがあるのだろうか?


卵を温めて31日目。
それ以来ずっとつきっきりだ。

Monday, September 12, 2016

The new challenges for pizza baking with fire bricks oven.





石窯ピザに、たくさんの失敗を繰りかえしてきて、そしてモヤモヤしている気持ちを乗り越え、その経験からやっと気がついたことがある。



それは、


まず、ピザという食べ物は焼き温度が命であるということ。
石窯でない方法で焼いたのは、『ピザ風の食べ物』になる。



また、石窯が良いからと言っても、中途半端に加熱した石窯で調理しても同じようなことが起こる。

そして窯の温度が上がっていない状態で
直火焼きなんかをすると、ススと焦げ臭いだけの固まりに。



家庭用の家電は調理温度に限界があるので、絶対ピザには仕上がらない。

家電を使ってせいぜい250度くらいでじっくり焼いたピザと、薪を燃やして石窯の中、高温で一気に焼いたピザとは、素材が同じでも、味わいに違いが出てくる。



普段の調理をするぶんには、250度あれば十分だ。
そして低温調理のピザは、本格的ピザではなく、どちらかというと「ピザパン」の仲間に入るかも。


ここに気がついていなかったから、いつまでたっても満足できるピザにならなかったんだ。


本物のピザは400度以上で調理される。うちピザ専用の窯では、500度以上になる。


その窯の中の熱気は、ちょっと手を入れると、人間の皮なんてすぐ溶けちゃうかも。。。



調理時間も90秒という、短時間で焼かれる。



長い間私が求めていたピザは、高温で、しかも短時間で焼かれることで生まれる、まさにあの食感や見た目、香ばしさにあったのだ!





Wednesday, September 07, 2016

The social engagement and its balance.



 

私は、小さい時から一人っ子で育ったせいか、なんでも物事を独りでするのが好きなのだが、最近心身の健康を保つ上で、生活習慣と一緒に自分の「人との接し方」「関係のつくり方」を振り返ってみることはバランスとして大切なことだと思うようになってきた。


それは、主人のアドバイスから受けたものだ。


もちろん小さい時には友達ともよく遊んだが、ひとり遊びはつまらないとか、兄弟がいなくて悲しいとか感じることも全然なく1人の時間はとても好きな時間だった。

成長してからも、独りで物事を行うことは自立性が養われ、自分のやることに責任を持つようになる。

気を使わず自分の好きな行動をして率直な内省の時間ができ、いろいろ考えたり振り返ったりする時間がある。

父親からは何故か、私が小さい頃から結婚しないと思っていたみたいで、「おまえは強くならなきゃいけない」と言われ続けてきた。



それが、年をとったらそんなことばかりじゃダメだと言われたのである。

少しでも社会性バランスをとったほうが年をとってから健康にも作用してくるというのだ。



確かにその通りかもしれない。


他の人と接触することによって脳がまた違った刺激を受けるようになる。

もし他人と触れ合うことがないとすると、「独りよがり」の意思決定しかできなくなる。

他者との関係は、脳の機能にも重要な影響を及ぼすということだろう。


「人との繋がの大切さ」を、身にしみて感じるようになった。