イスラム国家マレーシア。
中東に勉強と題して帰ってくる頃にはテロに染まってくる者、
人から間違ったイスラムを洗脳される者、
物事というものは、なんにつけ乱用される物で、ネガティブな要素は何処の国でもある。
ましてや過激派組織によるテロが世界各地で起き、イスラムのイメージを「テロばかりしている暴力的な宗教」「理解不可能」「厳しい宗教」といったイメージで捉えられてしまうのは仕方がないことかもしれない。
でも一方で、多くの人がイスラムに改宗している。
あの有名人が、あのミュージシャンが、とよく聞くではないか。
2050年には世界の3人に1人がムスリムになると予測されている。
そんな「負」ばかりの宗教なら、これほど信者が増え続けるわけがないだろう。
基本的にイスラムそのものの教えは「平和」で、穏やかだ。
道徳や規律が乏しかった大昔、それら教えを人間のモラルとして、そのルールに沿った生活をしていくというのは、もっとも自然だ。
そして、とりわけ人間愛的に言うと、「女性を大切にし、貧しい人、お年寄りなど弱者にとてもやさしい」宗教なので、とくに家族を大切にし、親には最も優しく、その土地に不慣れな旅人にも優しく、恵まれない人にも進んで助けたり、寄付をしたりする。
暖かく、緩やかだ。
もちろん、旅人に親切な人なら世界中のどこにでもいるだろう。
しかしイスラム圏は、親切な人の割合も、親切の度合いも、他とはくらべものにならない、見返りのない優しさが伝わってくる。
自分たちが持っているものを分けるだけなのに、自然体だ。
イスラム国でも実際暮らしてみると、もちろん
「これだからマレー人はさあ、、、」と愚痴の10は出る。
食事だったまとめて沢山作って、おおらかで、のほほんと構えているのを見ると、「こんないっぱい作ってさあ、残って捨てるようになっらたもったいないじゃん、なんでもっと計算して作んないのー?」とか、
クリニックでは先生はちゃんと患者を見てるんだか見て無いんだか、受付の3人の子たちたおしゃべりに夢中で、薬を待っているのに動こうとしない。
ゴミ焼却炉の鉄ドア注文を引き取りに行ったらまだできていないし、土曜日と言われて行ったらしまってるし、月曜日に行ったらまだ出来てないし、「土曜日閉めるなら何故電話一本よこさない?」と文句言ったところで何も出てこない。
エトセトラ、エトセトラ。。。
真剣に打ち込んでない、仕事にしろ何にしろ、無駄な時間をヘラヘラしているのが気に触ったり、ダラダラにイライラしたり。
虫の居所が悪い時なんかたまにそんな悪態をわざとつきたがる一方の自分もいたりして、能天気で悪気がない彼らを見て、自分自身で精神的に混乱をくりかえす。
その裏で、こんな優しさに出くわすとさらに頭が混乱する。
先日、小さなお店で買い物をしていた。
結果を言ってしまうと、レジでお金が足らなかった。
カンコンとエビ、テンペ、パンを買ったら数リンギ分、ちょうどパンの金額分が足らなくてパンを買わずに戻そうとした。
そうしたら、私の次に並んでいる男性がそのパンの代金分を支払ってくれたのだ。
見も知らぬ人にそんな親切にされて
思いは複雑。。。
イスラムの6行のうちに「ザカート(喜捨)」があり、1年に一回一定額を、「恵まれない人に寄付をする」というものがある。
うちの主人も熱心だ。
国のザカート基金では国民から預かったザカートを主に孤児院などに寄付をしている。イスラム教徒の教えでは義務となっており、困った人を助ける義務が常にある。
一方で、自分が裕福になるには、まずは人に与えるべしという「give & get」、貧しい人に差し出すことによって、社会に還流、ゆくゆくには自分にも倍になって戻ってくる事を信じている。
なにはともあれ、
幼少時から大家族や近所の密接な関わり合いの中で、ギスギスしない人間関係の中で育つうち、「人といるのが楽しい」というあまり気遣いをしない、ゆるい感覚が形成されていくのかもしれない。