自分の年が50を過ぎた辺りから、知人などの悲報もだんだん聞くようになり、主人も友人が入院している、元同僚がなくなったのでお葬式に行くなどという事も増えて来た。
嫌がおうにも時は刻々と過ぎていき、毎日着実に年をとっているんだと実感する。
いつも気をつけている事。
それは、いつも忙しく、せかせかした気分で過ごしていると、折角良い環境で暮らしていても自然の美しさに気づかなくなってしまうということ。
毎日の異なる自然の出来事に耳を澄ませ、自然の些細な事を話してくれるワーカーさんを凄いと思う時がある。
これって、大昔の人達と現代人を比較して、「現代人の方が幸せだとは言えない。むしろ反対かもしれない」という事と同じだと思う。
忙しくして心の余裕を失うと、大切なものを見失ってしまう。
忙しくして心の余裕を失うと、大切なものを見失ってしまう。
毎日やって来る野生の動物や虫、違う種類の鳥、ようく見ていると、日々自然のハプニングがあり、楽しませてくれるのだ。
そんな素晴らしい事に立ち止まる余裕がない生き方は、何の色も匂いも音もない世界で自分だけあくせくしているのと同じ事。
「忙しい=充実している」と勘違いしていたり、
「少しでも効率よく、無駄なく、生産的に」という価値観に縛られていたり、
「短期間で成果を出すほうがカッコイイ」と思い込んで無理したりするのは10年以上も前に捨てた。
「少しでも効率よく、無駄なく、生産的に」という価値観に縛られていたり、
「短期間で成果を出すほうがカッコイイ」と思い込んで無理したりするのは10年以上も前に捨てた。
充実した人生というのは、生きることを楽しむことのはずだ。
心の余裕を失うことなく、自分のペースで進めばいい。
心の余裕を失うことなく、自分のペースで進めばいい。