Monday, June 18, 2018

人生フィクション。



義理母が10日ほど前に、脳梗塞で倒れて入院した。

日々病院に出入りしていると、クアラルンプール国立総合病院の緊急口にはいつも救急車が止まっていて、見舞客も外来患者さんの足も途絶える事なく、いかに多くの人にとって病院が大切な存在かわかる。

そして患者さんが横たわるのを見て、人間健康が一番大事ということをつくづく再認知させられ、自分が比較的健康でいることへの感謝心もわいてくる。

自分がいつなんどきか大病になったり、認知症になったりするのは天のみぞ知る、という事で、そうなってしまったらどうしようもないことだ。
などと色々思いを巡らせる。




「身体がピンピンしてたってお金が全然なきゃね〜」といういう声もこれまで随分聞いてきたけど、「病気で寝ていたらお金が腐るほどあってもどうしようもない」





若いときは「一生働くなんてイヤだ」と思うことがある。

私が働き全盛だった頃は「いかに早くリタイアするか」というワーキングモチベーションのようなセミナーが流行ったものだ。

でも、だんだん年を重ねていくと、「一生元気で働けることの素晴らしさ」がわかってくる。

今時代は変化し、かえってリタイアというのはダサく、またリタイアという言葉も消えていくかもしれない。

人として
健康が前提で、それがあれば人の役に立つこともあり、それが時には喜ばれ、自分にとっても生きがいになったりもする。

誰の迷惑にもならずに、お金を稼いで生活ができる(一般論として)。

そして休みになれば好きな事をしたり、なんらかの小さな喜びみ見出せる、自分の稼いだものでちょっと旅行にでかけたりもあるだろう。


同時に、年をとると仕事がなくて、毎日何もすることのない空しさや、怖さというものが年とともにわかってくるというものだ。

その辺が、若い時分に一時期みんながそろって「早くリタイアしてのんびりするんだー!」と目標を掲げていたのと全然考えが異なってくるわけだ。

人生、恋にいのちを賭けてしまったり、ひょんな事から想像もつかない流れになったり、人の長い人生って、いいもわるいも、とても豊かなフィクションだ。

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