Sunday, December 31, 2017

Wishing you a happy new year 2018.




今日は1231日、日本でいうと大晦日です。
今この1年を振り返ってみると、2017年は仕事の面においても、プライベートの面においても例年よりちょっとばかり激動の、、、というか、まあそんな部類の年だったと思います。

毎月毎月、色々な、大きめな、新しい出来事があった、というか。

その中でも仕事では、通常の執筆仕事はそのままあわあわと、長期にわたった調査仕事では自分の微力さを切々と感じ、ビジネスコーディネターの仕事では、ちょっとしたやるせなさを感じ、KEPYOKの仕事は場所が築4年以上も経過しているので、自然の厳しさと、日増しに増加していくメンテナンスという大変さをひしひしと感じています。またワーカーさんが2回チェンジし、今のマレーシアはいかに労働力を確保する事が困難なのかという状況も、ニュースでは伝えられているものの身をもって実感した事です。

そして自分達で立てた目標はまだ達成していないままとなってしまいました。

プライベートでもドタバタ劇と、今年は旅行も多く、毎日がなかなか充実したものでした。
年による体力の衰えも「しょうがないなあ」、とあせらず受け入れていかなければならないものです。



まず今年の大変だった幕開けは、母親の突然の本帰国の決意から始まりました。
父親が亡くなってしまったので「マレーシアにおいでよ」とよんでから11年も住んでいた私の母親の具合が昨年の終わり頃から、悪くなって、病院通いを繰り返すようになり、年末頃(2016年末)「もう日本に帰りたい。。。」と言い出しました。

家族でさんざん考えた結果です。

すぐに1月正月開けに日本帰国に同行し、アパート賃貸の手配から生活用品をそろえたり、その他の手続きなどに追われました。マレーシアに帰ってきてからは、今度は具合が悪かったものだから全然片付けていかなかった母親の家の整理。仕事を抱えながら、 毎日夕方になると片道車で1間かけて掃除に行き、どうにか引っ越しにこぎつけました。

 Kepyokが完成する前は、私達も子供達と都市部で一緒に住んでいました。
でも完成してからは、私たちの息子2人(彼女からすると孫)と一緒に住んでいた母親は、一人がアメリカへ仕事に出るため家を出て、その当時の彼の彼女がよく泊まりに行ってくれていたのが、息子と結婚をしてから日本に住むためにマレーシアを去りました。その後、すぐにもう一人の息子がカナダに仕事に行くと決意してマレーシアを去ってしまってから、とっても寂しかったのでしょう。

私も仕事で忙しいのをいいことにあまりゆったり一緒にいる時間も少なかった事、1週間に一度の買い物の連れ出しもなんだかバタバタとしたもので、今考えるとかわいそうな事をしたかなあと思います。
母親も忙しい私に遠慮をして、いつも具合が悪くて病院に連れて行ってくれと言うのは気が引けていたようで、そんな気遣いと、自分の身体の心配と悪循環でどんどん弱っていきました。

マレーシアでずいぶん行った病院でもいろいろ検査をしましたが、何も悪いところはないと言われ、日本に帰って一緒に病院に行きましたが、やはり(幸い)何も悪いところはないと医者から言われました。

これまで、ずっとマレーシアの病院では私の通訳で医者とコミュニケーションを取っていたので、日本で医者とダイレクトに話ができることがうれしかったのか、医者の一言にでさえもとっても安心したようで、それ以来、急に元気が出てきたのでした。

11年前、娘のそばが良いと決断してマレーシアに引っ越してきたものの、外に独りで出ても立ち話も出来ない、何をするにも娘頼り、高齢者が自分の意思で何かをするという事が難しいマレーシアは、日本を知っている人から見ると、とても不便でもあります。
その中で生活をすると言う事は、たとえ娘がそばにいるとしても彼女にとって、しあわせなことなんだろうか?やはり話す相手が娘だけというのは健康的に良くないのではないか?と私はその事に関しては、ずいぶん考えました。

マレーシアで、毎年大晦日になると衛星放送で紅白歌合戦を見ていた母も、今年の大晦日は11年ぶりに日本です。
自分でスーパーに歩いて行き、正月用の買い物で知らない人とちょっとした立ち話をしたり、寒い中近所の人と世間話をしたり、久しぶりに日本の生活の中の師走を堪能している事でしょう。 私たち息子も今は日本で働いているので、暮れから孫夫婦が泊まりに来たり、自分の兄弟もそばにいるので一緒に初詣に行ったりもできます。

離れている娘とだって、今はビデオコールだってできるし、今食べている様子を直に写真にとって送ったりも出来ます。昔とは違った繋がり方によって、あまり遠く離れているという感じもしません。




自分自身のインターナルの部分では、いつも「どこかにエゴがないか」チェックをしていました。
そして常に
「私は上からの目線で言動をしていないか」
「自分は何が一番したいのか」
「これから10年後は2人でどのような生活を望んでいるのか」
「残された時間はどういう意味を持っているのか」
ということを真剣に考え、自分を第三者の目で評価し続けてみた年でもありました。

自然とともに、平和に過ごす事は悪くはありません。でも、自分で何らかの野心を抱く事、何かに渇望する事は、自分をある程度のレベルに持って行き、さらにそれを超える事が出来るものだと思っています。



一方で、毎日人間とは無能でちっぽけな生き物だという前提も忘れず、目の前の見えない大きな何かに向かって感謝をしてきました。
今後も毎日、死ぬまでそうするでしょう。



年を重ねる事は、経験も豊富になってきて、人生のいろいろな事も見えてきます。でもこんな年になっても、まだまだ学んでいる段階で、人間はいつまでも成長して変化しているものです。

揺るぎそうになったら、自分の足下はどんな具合なのか、しっかりと見直し、
来年もしっかり進んで行きたいと思います。


 いつも支えてくれている周りの方々、どうもありがとうございました。

No comments: