一部の過激派の残虐な行動のため、イスラム教はひどく誤解を招いてしまっている今日だけど、
イスラムとは「平和」。
本来は優しさと平穏に満ちた生活そのもの。 イスラム教の場合は、その精神性の源は聖典コーランにある。
最近マレーシア国内では多くの人が源の聖典コーランに耳を傾けるのではなく、ustazなどの説教師、それもエンタメ化されたustazの大人気という中で、イスラム教徒とて、イスラムの解釈がキチンと行われていない。
良くも悪くもアラブに傾倒しマレーシア人そのものが "Arab wanna be" になっているから困ったものだ。
聖典コーランの意味をふまえながら読んでいくと、聖典には繰り返し語られていることが3種類。
1 祈りなさい。
2 他を助けなさい。
3 人間としてとにかく良いことに努めなさい。
イスラムは六信五行なのだが、この3つは最も大切として繰り返し語られる。
どこかのustazが言うような、髪を隠しなさいとか、犬に触ってはいけないとか、そんなナンセンスな事は一度も書かれていないのだ。
ちなみに、アルコールを飲んではいけないとも聖典には書かれていない。
その後のハディースになると人間が書いたものとして、生活に関わることがごちゃごちゃ出てくるが。。。
2 喜捨、ザカート フィトラは断食月の終わりまでにマレーシアではない2.3-2.7キロ分程のお米の額(約RM7)を納め(寄付される)るようになっていたり、ザカートのように自己申告で、いつでもどこでも自分の利益の約4パーセントをあずけている人も多い。
どの宗教でも「何かを得たかったら、まずは与えよ」という精神の教えは語られているが、特にイスラム教でも、幸せになりたかったら、他から取ることばかりを考えていてはダメで、まず先に人に与えることを考える。
この観念の転換が、成功と幸福をつかむことができるのだと信じられている。
「もう少したまってから、もう少し自分が得てから」と自分に経済的・精神的なゆとりがあって初めて他者を助けるのではなく、思った時には見返りなくすぐにやる。人間は満足に達するのを待っていたら、絶対にキリがないからだ。
3 人間は弱い生き物なので、宗教などの規則やモラルで悪い方向へといかないようにするという考えは一般的だし、ある意味ではそうなのだろう。
でもとにかく「良い事をしろ」なのだ。
そうすれば、必ず自分の利益となって返ってくる。
We make a living by what we get, but we make a life by what we give
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