日々の密かな自己アクティビティーに、アートジャーナルというものがある。
毎日毎日まだこの年でも忙しく、あっという間に1日が終わってしまう日でも、できるだけジャーナルを開く、そして手を動かす。
これなしではもう生きられないと思う程、便利なスマートフォンに頼ってしまっていて、スマートフォンはとっても好きなガジェット。でもそれだけでは満足にならない。
「聞く」という行為は、他の言語活動と異なり、体の筋肉を「動かす」必要がない。
「話す」となると、口の筋肉の運動が加わってくる。
さらに「読む」となると、視覚や文字認識が必要となってくる。
最後に「描く/書く」では、空間の構築性や、手の細かい運動も加わる。「描く/書く」という行為は、脳の様々な領域を同時に動かす必要があるのだそうだ。
「描く/書く」ということは、記録をするという要素の外に、脳の広い範囲を賦活させて記銘するという役割もある。便利な機械が身近に溢れる昨今だけに、手で「描く/書く」意義について再認識をしなければならないのかも、と感じる。
(最近ショッピングモールの駐車場の番号は写真をとってしまうので、番号を自分の頭で覚えられない!)
アートジャーナルは、と日が経つにつれページがだんだん埋まっていくのが楽しい。
時間はあっという間に過ぎて、日々おきたことも、徐々に忘れてしまうものだけど、記録してきたページの厚みを見ると、これだけ日々を重ねてきたんだなと思うのも、また嬉しい。
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