このブログでも過去何回か指摘しているようにここ10年前から徐々に、そして最近さらにマレー系の人達が間違ったイスラム化に走っている現象について、その歴史を遡って原因を見てみたい。。。
1970年、マレーシア政府による新経済ポリシーが形成された時、マレー人の経済発展を妨げる原因となるであろう2つの事項についてはあまり考えられていなかったようだ。一つは宗教の負の部分による影響、またはもう一つは、中国の台頭において中国間貿易のすべての重要な部分を加担する非マレー人の経済発展への大きな影響。
世界第一次、第二次大戦の時代も、1957年の独立時以前のマレー人というのは、宗教についてシンプルなイスラム教徒だった。
この国のイスラム布教はママッ(インド系イスラム教徒)によって始まった。
マレーシアでのママッの立場というのは、宗教、民族、国籍などの問題の下に長い闘争の歴史を持っている。インドにおけるママッはパキスタンによって強くサポートされている。
5月13日のかの有名な暴動事件の後、多くの人々が次の戦いの準備として武道に走った。
(華人はカンフー、マレー人はシラット、インド人はシランバンというように)
でも、そもそもマレー系は戦いを選択する性格の人種ではない。。。
ママッ イスラム教徒は、Maulidurやモハマド預言者の誕生日を祝ったりもする。
預言者の誕生日のお祝いは、トルコのオスマン帝国でもやっている事だった。
その後1979年、イラン革命が起こった。サウジアラビアのワッハーブ派は、イランのシーア派を潰すために、すべてのイスラム国家に資金を提供開始した。この影響はすぐにマレーシアに広がった。サウジから調達されたお金はマレーシアの多くの宣教活動を活性化させた。
(つづく)
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