Sunday, January 11, 2015

An Efficient, but Less Peace of mind with smart phone in present modern day?




25年ほど前は、パソコンもスマートフォンもなかった。
今の便利な生活を考えると
25年前がいかに不便であったかと思うだろうが、勿論その時にはスマートフォンなんていうガジェット自体知らないわけで、その生活を当たり前のように過ごしてきた。

スマートフォンが一般化した今、知りたい情報は家にいながら得られ、移動時間や労働時間の短縮など能率的になり、便利な生活になった。

でもこの便利なはずの生活には、いつしか本当の気持ちのゆとりのようなものがなくなってしまったのではないかと巷では言われている。

もはやスマートフォンは、私たちの生活から切り離せないアイテムとなっているので、いっときも離せない中毒者も増加し、欧米でも最近は<スマホ中毒治療>のためのキャンプもあるというほどだ。





本来の目的を見失ってしまったり、熱中しすぎて機械に大切な時間を無駄に使われたり、楽なことや面白いことばかりを求めて、汗を流して結果を得るという心を失っているのではないだろうか。
このような生き方によって、自然とともに生きる時間や家族や大切な人と過ごす時間が無くなり、自然への感謝や愛、自分を深く見つめる心さえも失っていないだろうか?

 機械にふりまわされた結果、心が人間として必要なものを失うということがあるのではないか。

私個人の場合は、日中は待ち時間とか持て余し時間がない限りあまりfacebookやTwitter、instagram などSNSの類いはあまり見ない。
あえて、はっきり言ってしまうとアンチFacebookだ。

だいたい1日に一回から二回、全然見ない日もある。
毎日のように画面をチェックする回数や時間が増えるとそれだけ人とアイコンタクトをとる機会は減っていく。アイコンタクトはとても大切だと思っている。自分で物思いに耽る時間も減る。
誰も同じ24時間、残り限りない人生の時間だ。もっと意味のある時間に当てられるだろう。



こちらマレーシアでも、デート中のカップルが向かい合って座っているものの、現実よりスマホが大切とばかり、スマホに集中している。とっても奇妙な光景だと思う。まあ、仕事がいそがしいのかもしれないし、私が何やかんや言うのは余計なおせっかいかもしれないが。。。

28年前の話で恐縮だが、知りあってから結婚するまでの私たち夫婦は、遠距離恋愛であったために手紙が多くのコミュニケーション手段でもあった。

そして国際電話はとても高かった。
今では遠く離れた人とも無料のリアルタイムで繋がることが出来る。なんて素晴らしいんだろう!

日本からマレーシア、手紙の届くのが約5日間から長いと10日かかる日もあって、イライラしながら待ち侘びていた。
手書き文字には温かみがある。それは、マシンガンのようにひっきりなしに送受信される画面の文字からでは、とても感じることのできないものだ。




ここ数年、本当の「つながり」は、リアルにこそあると痛感している。いくらfacebookで何百万のLIKEを得ても、それは単なるバーチャルなものでしかない。








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