ふだん死についてふつうに話すことがない、ということがこれまで日本の風潮にはあったような気がする。
私が日本で生活をしていた頃には、死というのは(もちろん好き!なんて言う人はいなくて)嫌われていて、なんか不吉で、なるべく遠回しに話したり、日常の中から切り離しておくようになっている。
誰もが行きていたら必ず来るべきもので、「生」からは切り離されられないものと、わかっているのに。
でも最近の風潮は、ちょっと変わってきているようだ。
「終活」という言葉が流行ったり、死んだらどのようにしてほしいかきちんと周りに伝えたり、(昔は、まして病人の前では絶対話し合うこともなかったはず)、何歳くらいまで生きるつもりか、それまでに何をしておきたいか、というような話を、多くの人がおこなっているようだ。
ここでは、日本とちょっと違う。
生と死は身近な、当たり前のものとして根付いており、死を怖れすぎない。
こどもの時から日々の生活の中で、他人の「生」と「死」を間近に見て体験する。
犠牲祭では、動物の死を目の当たりにして、その動物をいかにありがたく食べ物として頂戴するかを考える。
そして人間の死後の世界はあるものが前提として信じみんな生きている。
---なので、「死」は必ず悲しみとともに語られるべきものではない。
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