最近のマレー社会を見ているとある典型化が気になる。
会社でも学校でも一生懸命頑張るまえに神頼み。
早い年代から、死後の世界を夢見、現世に全力投入出来ない。
イスラムは、その初期の頃deenと呼ばれていて、その意味は「the way of life」というものだった。
まだおそらくコーランしかない時期で、人が作ったハディス法もなく、人々は宗教として認識してもいなかった。
宗教が宗教でなかった時代というべきか。まさに宗教以前の人間としての「the way of life」だったのだ。
近代化するに従って社会が複雑化し、お金が絡み、人間によるコントロールが始まり、もとにあった「the way of life」がある種々の宗教へと形が変形したのだといえる。
ちょっと誤解を招く言い方かもしれないが、あらゆる宗教は、その成立ちからいって、物語でありフィクションである。
フィクション、それは「実証の枠外にあるもの」としてだ。
そして多くの局面においては、ホワイトマジックとして、他には類を見ない強い力の治癒力を発揮する。
言葉が傷を癒し、魂を救ってくれる。
でも私達は、フィクションとは別のところで、(現在を生きているのだから) 現実に立ち向かう自己を、おそらくは、そのフィクションと力を相互交換する形で作り上げて行かなくてはならない。
イスラム教上、死後は信じつつも、現在の「生」もまっとうしなければいけない。
No comments:
Post a Comment