Saturday, May 10, 2008

コラム(1)

Tonikaku atsui, kouiuhi wa pool ni kagiru !



次のコラムは10年前に書いたものだ。



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『ご存知のようにこの国は、いろいろな人種が集まり、それぞれ独自の文化を根強く持っている。

というのは、大人の見識であって、子供はそんなの一行に意識していない。

さて。今我が家の次男坊は、ローカルの幼稚園に通っているが、そこではもちろん人種混合ごちゃまぜ文化でおもしろい。

例えば、お正月ひとつとっても1年に1回ではなく、西暦カレンダーにあわせた正月、中国人正月、インド人正月、イスラムの断食明け(正月のようなもの)

とそれぞれのカードを作ってくる。いろいろな言葉の歌を覚えてきては聞かせてくれたりもする。クラスで何語を使っているのかは、それぞれの幼稚園によって違うようだが、英語を主として使っていても国語であるマレー語そして中国語も習うのが通常だ。

子供は覚えるのがおそろしく早い。幼稚園で中国語を習って、このまま小学校、せめて中学校までも中国語を習えば素晴らしいことだが、マレー系やインド系のほとんどは華人学校には入らないので、残念ながら忘れてしまう。

これまでマレー系やインド系にとって中国語は縁のない言葉だったが、最近では将来ビジネスで有利なのではと考える親が、子供を華人学校に入れる。

子供を育てた人ならもちろんおわかりだろうが、保育・幼稚園児にもなってくると(3~4歳)幼児期より言葉の数がぐんと増えて、コミュニケーションもおもしろいものになる。

うちの次男坊も幼稚園から帰ってくると、毎日、友達の名前を出してはおもしろい話をたくさん聞かせてくれる。ある日私は面白いことに気がつき、彼が友達の話をした後聞いてみた。

「で、その子はナニジンなの?」すると答えはイングリッシュ。イギリス人。

子供にとって、マレー人であろうがインド人であろうが共通語は英語なので、みんなイギリス人だというのだ。

もちろん私はその友達がナニジンかわかっているが、もうちょっとからかってみたかった。「じゃあ、バスの運転手さんはナニジン?」―――イングリッシュ。

「インド人でしょうが」―――ノー、イングリッシュだよ!!と頑固に言い張る。

「じゃあ、君はナニジンなの?」―――イングリッシュ。

「マレー人と日本人のミックスじゃないの?」―――ノー、イングリッシュ!

この間、ローカルの小学校に通う長男がこんな話をしてきた。明日から学校に1セントをもっていかなければならないというのだ。

前にも学校で募金活動があったので、そのためかな、いやそれにしては1セントなんて金額が細かすぎる、と思っていたら「明日から英語で話しているのが見つかると、罰金で1セントを払わなければならないんだ」と言っていた。

それを聞いていた父親が笑いながら言った。

「ハハハ、パパのときは英語で話さなくてはいけなくて、マレー語で話していると罰金5セント払わなければいけなかったんだよ。でも、1セントじゃなくて5セントだったなあ」

30年以上も前、5セントといったら結構な大金だったのではないか。それが全部先生の懐へ入ってしまったのだろうか。イギリスの植民地だったマレーシアにとって、

英語は重要視されてきたが、国家独立後、ここへきて国語であるマレー語の大切さを重要視し始めている。時代は変わっていくものだ。』




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単一民族国の日本から来た私にとって、多民族国家であるゆえんに起こる様々な日常光景は、とても興味深いものだった。とにかくそれが一番おもしろかった。


自分の子供への教育方針に関係してくるからか、言語について書いたコラムはとても多かったように思う。


最近、ようやく確信してきたことは、小さいうちにひとつの言語を(基礎を)強くした方がいいということだ

アカデミックのためではなくて、人間の情緒、感性を育てるためで、ひとつの言語をしっかりとさせ、その言葉で自分の考えをシッカリと持ち、考えをシッカリと伝えることができる、ということのためだ。


だから、日本で小学校から英語教育をするというのは、ナンセンスのものだと思う。日本語が弱いうちに英語を週にたかが数時間やってもあまり意味がない。


表向きは国際人を育てるためとかいっているが、英語を話せることが国際人ではない。


他の言語を話す前に、自分のことばでシッカリと意見を考え、言えなければ英語がペラペでも国際人ではない。まあ、国際人という言葉自体、なんかおかしいもののような気がするけど。


例えば、バスに乗るときに運転手さんに「このバスは、**へ行きますか?」と聞くとしよう。

ここでは行き先の地名、例えばUSJに行きたかったら「USJ?」と聞く人がやたら目に着く。

日本ではそんなことはないだろう。そんな聞き方をしたらやっぽどぶっきらぼうか、話し方をしらない人と思われるのが常識だ。


ここでは、やたらにきちんとした文章を言っても、みんなが理解できるわけではないのが、小さいときから身をもって知っているから、簡素な聞き方になってしまうのだろう。


その方が手っ取り早く、コミュニケーションができる可能性が高い。外国人の出稼ぎの人も多いしね。ここでは、民族によってだけではなく、個人の教育や過程の背景によってそれぞれの語学知識はまるで違う。

ああ、複雑。





Sanuki udon is better than normal udon.

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