「死は普通のこと」というと、日本人にとってはギョっとする言葉かもしれないし、慰めには通用しない言葉かもしれない。
今の日本の世相からしてかえって「冷たい人」とあしらわれるだろう。
しかしイスラムにおいて「死」とは、生まれれば死ぬし、それは主が定められたことで、自分だけが例外というわけにはいかない。
本来死は大騒ぎする事態でもなければ、怖い事でもない。
イスラムの死が簡潔に整理されているのは、葬式の方法にも現れている。
先日義理父が亡くなった。
家で亡くなってから、医者がすぐに駆けつけ死亡を確認、役所の人が来て、それから地域モスクの人たちがテキパキと事を運んでくれた。モスクに連れて行って男性達が死体を清めて、お祈りをして墓地に運び、埋葬して再度お祈り。埋葬用の穴は、到着した時にはあらかたモスクの人たちが2mの深さを掘っておいてくれていた。全部の工程に5−6時間で全てが終わった。
イマム(説教師)の「人の身体は土から生まれて、土に帰って行く」という言葉が心に残った。
人の死を悲しむのは自然だが、イスラムでは、泣き叫んだりするような余りの悲しみ方は、与えられている恵みを忘却することでもあるとして戒められている。
なぜならイスラムでは、死は初めから想定内の出来事にすぎないから。
その後の審判や死後の世界への通過点しかないから。
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余談だが、私の母親と息子の会話を興味深く聞いた。
母「こっちは、土葬なんでしょ?なんか可哀想・・・」
息子「日本の火葬の方がもっと残酷な気がするけどなあ・・・だって焼いちゃうんでしょ?」
育った環境によって、根本的なイメージが全く違うのだろう。
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この間仕事で知人の知人である葬儀屋さんと知り合う機会があった。
マレーシアのモスクの見学などに連れて行ったとき、偶然にも知らない人の葬儀に遭遇した。
こちらでは、誰かが亡くなってモスクでそれ用のお祈りをしていても、他の人は一角で勝手にお祈りをしている。日本のような雰囲気はない。
「イスラムでは、一般人も王様も同じ人間です。死んだらみんな同じ処理です」
「巡礼(ハッジ)時には毎年多くの人が亡くなりますが、メッカで亡くなっても特別に1人1人のお墓はありません。大きな穴にシャベルカーでみんな一緒に入れて土をかけて終わりです]
そのような事を説明しながら、彼は「これは私の事業の出る幕は全然ないや」と現地人に関わるビジネスチャンスには期待できないことを悟ったようだ。
きっと、日本の厳粛な葬儀に携わっている者として、「人の命をなんと思っているのか、なんて粗雑な」というイメージも持たれたかもしれない。
私は逆に日本の葬儀やそれにかかる費用等、なんて無駄が多いのだろうと思ってしまうが。